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【スカパー!サカつく部 サカつくDivision1】 第5節久米一正氏

『J.LEAGUETM プロサッカークラブをつくろう!7 EURO PLUS(以下、サカつく7)』の開発プロデューサー山田理一郎と、日本サッカー界を支えるスペシャルゲストと特別トーク。『サカつく7』の魅力はもちろん、開発秘話やサッカー論を本音で語る!

テレビでは放送しきれなかった内容をノーカットで掲載!第5節は、2010年悲願のリーグ制覇を達成。緻密な分析力と、田中マルクス闘莉王選手をはじめとする大胆かつ的確な補強で、名古屋を真のビッグクラブに導いた。豪快かつ繊細な手腕で鳴らす久米一正さんです。

プロフィール

山田 理一郎
「J.LEAGUETM プロサッカークラブをつくろう!7 EURO PLUS」プロデューサー
1999年セガ入社。企画として「ハンドレッドソード」「パンツァードラグーンオルタ」「プロサッカークラブをつくろう!ヨーロッパチャンピオンシップ」「フットボールクライマックス」などに携わり、2009年発売の「J.LEAGUETM プロサッカークラブをつくろう!6 Pride of J」ではプロデューサー兼ディレクターを務める。
日々野 真理
スカパーのJリーグ中継ではピッチリポーター、Jリーグハイライト番組「Jリーグアフターゲームショー」ではアシスタントを務めるフリーアナウンサー。三重県出身。
久米 一正
1955年生まれ、静岡県出身。Jリーグ事務局長、柏レイソル強化本部長、清水エスパルス強化育成本部長などを歴任した後、2008年より現職。名古屋グランパスでは総合評価システムを導入し、それまで続出していた越年交渉選手をゼロにするなど目覚ましい成果を挙げる。2010年9月からは日本サッカー協会技術協会員を兼任するなど、チーム内外からの評価も高い、日本におけるGM職の先駆け的存在である。

目次

ピクシーは、男らしいけど女性的

日々野真理(以下、日々野):久米さん、本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございます。ちょっと気になったのですが、すごく可愛いカフスボタンを付けていらっしゃいますね。見せていただいていいですか?

久米一正(以下、久米):日々野さん、恥ずかしいんで見せたくないんですよ(笑)。

山田理一郎(以下、山田):打ち合わせから良いお話を伺っているのに、どうしてもそこに目がいってしまって(笑)。

日々野:そういうお茶目な所も。今日はいろいろとお話を伺いたいと思います。まず、このポスターに触れないわけにはいかないですね、山田さん。

山田:「サカつく」のイメージキャラクターは、前作「サカつく6」がイビチャ・オシム(元ジェフユナイテッド千葉監督、元日本代表監督)、今回「サカつく7」が名古屋グランパス ドラガン・ストイコビッチ監督(以下、ピクシー)です。

ピクシーにインタビューした時も、今回のゲームは全権監督つまりGMという立場であることをお話したんですが、「現場の監督とGMは二人三脚でチームを作らないといけない。私は久米さんとベストな関係を築けている。だから名古屋グランパスは今の成績を残せているんだ」と仰ってました。

久米:いや、ありがたい話です。

山田:実は、今日は緊張しています。

日々野:ピクシーのインタビューに行かれた時よりも?

山田:緊張はしたんですけど、ピクシーは基本的に「カッコいいな」と思いながら(笑)。

日々野:久米さんは、そんなピクシーに対して一番近い所にいらっしゃると思うのですが、どんな方ですか?

久米:2008年に彼が監督に就任した時に、私も一緒に名古屋グランパスに来たわけなんですけれど、柏レイソルの時に彼の現役時代を見ていました。攻撃的で、レッドカードをよくもらう選手だったと覚えていますから。

キャンプの時に彼は女性的な一面を見せまして、非常によく気がつく人なんだなと。全ての面でよく気がつく。男らしさを持っている中でも女性的で、選手からも慕われていますね。

日々野:例えば、どういう所ですか。

久米:僕がフロントワークで後ろにいるんですけど、まるで後ろに目があるかのごとく「久米さんこれやったら?あれやったら?」と言うんですね。現役時代も、後ろに目がついているような選手でした。

彼は英語、セルビア語、フランス語にイタリア語も使います。一番得意なのはイタリア語かな?と思うぐらい。ですが普段は英語を駆使して、英語のできない僕に一生懸命易しい言葉で受け答えしてくれます。

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GMイコール何でも屋

日々野:実際にGMというお仕事に関して伺いたいんですが、あまりに壮大すぎてどこから伺っていいのかわからない部分があります。

山田:最初、「サカつく7」では「GM」という言葉を使うかどうか迷ったんです。ゲームでは今までクラブ代表でしたが、自分自身も移籍できる立場であり、現場・監督を含めた強化を担当する個人です。その立場にマッチしたのが、GMという言葉だったんですね。

ただ、GMという言葉が伝わっているイメージはどんなものなのか、僕らにはわかりませんでした。それで、「全権監督」という言い方をしました。久米さんは、ご自分を紹介する時に「GM」と言って伝わらないことがあったりしますか?

久米:ヨーロッパでは「GMがチームを動かしている、全権を任されている」とよく言いますね。一方、日本ではまだ「どういう仕事をやっているの?」と聞かれます。中身は多岐にわたっておりまして、経営のことから選手の獲得、監督・選手との契約など、何でも屋ですね。

日々野:幅広いし、クラブによっても違うんですね。久米さんはまず柏レイソルでGMをやられ、その後清水エスパルス、名古屋グランパスと移られました。それぞれのクラブに、違いはあったのでしょうか?

久米:ありますね。柏レイソルは、親会社が日立です。清水エスパルスは鈴与さん、名古屋グランパスはご承知の通りトヨタ自動車を含む中部の財界が全てバックアップしている状況です。図式的に、3クラブはそれぞれ違う環境の中にあるように思います。

日々野:柏レイソルをお辞めになった時、我々はちょっとびっくりしました。当時は、日立からの出向という立場でいらっしゃったんですよね?

久米:やっぱり成績が出なかったこともあるんですよ。前年に西野朗監督(現ガンバ大阪監督)を解任せざるを得なかったこともあり、選手からは「どうせ久米さん社員でしょ」と思われていたのも事実ですから。

そこで決心しました。「どこかに飛び出さないと、選手は同じ土俵に立っているとは見てくれない」と。それで「会社に戻るか、協会に行くか、辞めるか」という3つを日立の役員会で言われたとき、即決で辞めることを決めました。

日々野:即決ですか。

久米:即決でしたね。それで、今の道に飛び込んできたんです。

日々野:清水エスパルスに行く時も、クラブとして大変な時でした。

久米:2002年のワールドカップが終わった後で、代表選手もたくさんいました。ただ、選手を入れ替えていかなくちゃいけない時期に清水エスパルスも差し掛かっていました。成績も低迷していましたし、非常に苦しかった時期だったことを覚えています。

山田:私は、2005年のJ1開幕戦を見に行っているんですよ。サンフレッチェ広島とやっていたので。その時に長谷川健太監督(元清水エスパルス監督)が就任されて。プロの監督として(就任した監督)は初めてだと。

久米:初めてですね。

山田:開幕戦を見てうまくいっていない所があるなと見受けられ、ちょっと苦労するんじゃないかと。その年は、結局入れ替え戦(が視野に入るほどの順位)近くまでいったんですよね。

久米:そうですね。私が2003年に行って2年間いろいろ試行錯誤したのですが、うまくいかなくて。「やっぱり長谷川さんにやってもらおう」ということで、2005年から就任してもらいました。

当時なかなか順調にいかなかったのは、選手の入れ替えがうまくいかなかった時期でしたから。ですから、若い選手を獲ってきました。岡崎慎司、藤本淳吾、それから岩下敬輔にしても、今では日本代表のメンバーです。当時はもちろん若かったですが、獲得してから長谷川監督が一生懸命しごいてモノにしていったことが、今の清水エスパルスの礎を作ったと思います。

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選手選びのポイントはお母さんにあり

山田:当時の清水エスパルスには若い選手、特に大卒の新しい選手が入ってきて、その選手が毎年のように結果を出してチームの中心になった過程がすごく見えたと思います。若い選手を獲ってくる基準は、どういうものなのでしょうか?

久米:私は、選手のお母さんを見て判断しています。

日々野:それは、子供と共通する所があるということでしょうか?

久米:お父さんは普段は外で働いて帰ってきて、なかなか子供と会えないですよね。やはり、お母さんが面倒を見ているじゃないですか。「慎司!何やっているの!」とか「淳吾!」とか。選手のお母さんは、やっぱり選手の鏡ですよね。

日々野:自分が一生懸命スクールに通わせたりして育てた子供でしょうから。

久米:お母さんを見ると、その子が大体どんな子かわかります。選手を獲ってくる時は、まずお母さんと会って、どういう感じかを見ます。元気の良いお母さんでないと僕は取らないですね。

山田:元気の良いお母さん!新しい要素ですね。

日々野:入れた方がいいんじゃないですか、ゲームに(笑)。

山田:選手のお母さんがゲームに登場するんですね。そして、元気がいい(笑)。

久米:お母さんが元気な所は、コミュニケーションをしっかりとっているんじゃないかと思うんですね。お母さんが元気よく「何やっているの!」って喝を入れられて家を出た選手の方が、コミュニケーションを取る能力が高いと思います。サッカーは1人でやるスポーツではありませんから、やっぱりコミュニケーション能力がないと。
岡崎慎司選手のお母さんは、明るくてガンガン来るタイプですね。

日々野:一度見たら忘れられないキャラクターですね(笑)。選手選びにそういうポイントがあるとしたら、監督選びにも重要なポイントがあるのでしょうか?

久米:今まで、14人くらいの監督さんと仕事をしてきました。西野さんとは5年くらいでしたね。長谷川さんと3年。それから、ピクシー監督とは4年。共通する点は「余分な事をしゃべらない」ということです。それが監督の成功するポイントの一つかなと思います。

日々野:余計な事をしゃべらないことが大事なのですね。

久米:西野さんも余計な事をしゃべらないです。選手に読まれちゃうから。「あの人何を思ってんのかなぁ」と思われた方がいいのかなと。長谷川さんもそうでした。

日々野:監督でいらっしゃる時の長谷川さんと、解説でいらっしゃる時って全然違いますね。

久米:そうですね。

山田:解説の時はいろんな事をしゃべられますが。

日々野:仰る通り、監督になってからは必要な事しかしゃべらない。

久米:気が利くか利かないか。気配りができるかできないかが大事だと思います。選手が何を考えているのか、気を使って見てあげられる監督さんが良いのかなと。

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3年計画の3年目で見事に初優勝を飾る

日々野:久米さんが名古屋グランパスに行ってから、チームは初のリーグ優勝を成し遂げました。久米さん自身も、リーグ優勝は初めての経験だったそうですね。

久米:そうです、初めてでした。

日々野:そこに至るまでに、いろいろなご苦労があったと思います。名古屋グランパスに行ってまず取り組まれたポイントは、どういう部分でしょう?

久米:清水エスパルスにいた2007年11月頃、名古屋グランパスからオファーをいただきました。他のチームからもいただいたんですが、名古屋グランパスはまだ優勝もしていないし行ってみようかなと。監督がピクシーになるかならないか、まだ決まっていなかった頃です。

2008年に名古屋グランパスに行って最初に言ったのは、「3年ください」ということです。チームを作ってピクシーの色を出していくには、3年必要ですと。代表の監督みたいに選手をとっかえひっかえできればいいんですけど、なかなかそうもいきません。今までいた選手も大事にしなくちゃいけないし、新しい選手も連れてこなくちゃいけない。

だから「ピクシー色に染めるには3年ほしいです」という話をしまして、時間をいただきました。3年目の2010年に優勝できた。役員には「3年で絶対優勝させます」と言っておりましたから、約束を守れてよかったなと思っています。

あとは、2008年にスタートするときに選手に対して3つのことを伝えました。こういうことは、あまり多く伝えてもダメです。

日々野:ポイントを絞る必要があるんですね。

久米:3つくらいがいいですね。まず、あいさつです。ピクシー監督は日本語も堪能ですので、きれいな日本語を使って「おはようございます」とあいさつしますよ。だけど選手はどうかといえば、できていなかった。しっかり「こんにちは」からあいさつするように約束させました。

次に、注目される立場であることを認識すること。「公人」という言葉をよく使いますが、みんなから見られていると。身だしなみと、特に髪は黒髪にしてほしいと。そして、当然のことですが、サッカー選手ですから「時間や規律を守ってほしい」と。この3つを言いました。

黒髪は、サポーターからも「選手の自由を奪ってどうするんだ」と言われましたが、08年から一貫してそれを言ってきたのも確かです。「守れない選手は規律違反」だと。

日々野:名古屋グランパスに行くと、選手が爽やかな髪型になっていますね。

日々野:ポイントといっても難しいことじゃなく、本当に基本的な部分ですね。

久米:以前所属したある選手は、名古屋グランパスに在籍した当時はグリーンの頭でモヒカンにしていました。「この子もどうにかしたいな」と。かといって、言いすぎてもあまり効果はありません。

そこで、いろいろ話をしながら「最近僕(試合に)出られないんですよね」と言ってくるので、「黒髪にしたら試合に出られるし、点も取れるぜ」って伝えました。その後本当に黒髪の短髪にしてきたら、試合に出てパーンと点を入れたんです。試合後に僕のところにすっ飛んできて、「久米さんに言われた通りです」と。

日々野:若い選手へのコミュニケーションの取り方は、いろいろ考えてらっしゃるんですか?

久米:そんなことないですけどね。経験からいろんな話をしますけど。「これはチームだ、フロントもそうだが選手も1人でも欠けたら船に乗って優勝フラッグは取りにいけない。脱落は許さないぞ」ときっちり伝えます。2008年、2009年、2010年とチーム始動日には常に「僕が作った優勝シャーレを取ってほしい」と言い続けてきました。

日々野:Jリーグの優勝シャーレは、かつて久米さんがJリーグ事務局長を務められた際に制作に携わられたものなのですよね。そのシャーレが自分の所に来たということで、感慨深さはありましたか?

久米:そうですね。ずーっと手元にあればいいんですけど、無くなった時には久米って名前を入れようと思います(笑)。

日々野:こっそりと(笑)。結果を出したということに関して、ご自分で「次に」と思うことはありますか?

久米:選手たちにも言ってきたんですが、1年目は基礎作りだと。土台がしっかりしていないと堅固な城はできない。2年目は、その土台の上にシャーレを飾る天守閣を作ろうと。こういう話を、選手に春夏の面談の際にずっと言い続けてきました。

次に目指すものはACLの優勝、そしてトヨタがスポンサーになっているFIFAクラブワールドカップに出て、良い成績を収めること。ただ今年はうまく行きませんでした。この間もサポーター会議があったのですが、皆さんに「久米さん、ウソ言ってるじゃないか」と言われました。こちらについては、もう少し時間をくださいとお願いしました。

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タイミングを見て選手に声をかける

日々野:今年の成績も調子も上がってきたところですから、今後を楽しみにしています。ところで、選手とのコミュニケーションで言うと「サカつく」でも不満を訴えたりしてくる選手がいます。

山田:昔から言われているんですが、サカつくの選手はすごく不満を言うんですよ。

久米:いいですね(笑)。

山田:正直、面倒くさいんです(笑)。「アイツは俺より年俸もらっている」「アイツが気に入らない」「監督と合わない」「施設がしょぼい」……そんな事を言ってくるんです。しかし確かに面倒な要素ではあるんですが、そういう要素を抜いてしまうと人間くささが無くなってしまう。

久米:そうですね。

山田:選手も人間なので、不満を言うに決まっているんですよね。「サカつく」はサッカー愛を持っているゲームなので、選手のパラメータが高いとかそういう事だけで語ってほしくない。選手は、成績が良ければ何も言ってこないです。チームがうまく回らない時に、そういうことがたくさん出てくるというゲームなんです。

日々野:久米さんが実際にそういうケースに直面されたときは、どうされますか?

久米:「愚痴をこぼすのは止めよう」「言い訳は止めよう」、この2つはずっと言っています。監督がスタメン11人を選んで、サブに入る選手を入れても18人です。

例えばこの間アビスパ福岡との試合があったとき、ある選手を途中交代させました。彼は絶好調だったので、さすがに交代時には少し不満そうだった。だから試合後に彼を呼んで、「頭に来ますよ!」と言っていたので、「絶好調のときに替えられたな。別にいいじゃないか、絶好調のときほどケガをするものなんだ。愚痴をこぼさないで、次の試合でしっかり点を取れ」という話をしました。

そういう風に、タイミングを見て選手を呼んでその場で吐き出させてやるのが一番いいんじゃないかと思います。

日々野:それこそ先ほど久米さんが仰ったように、細やかな所に気がついて声をかけるのが重要だと。

久米:そういうことが僕たちの仕事かなぁと思います。愚痴をこぼしたら終わりですよ、何でもそうですけど。

日々野:こぼしたくなりますけどね。

山田:そうです、たくさんありますけどね(笑)。

久米:愚痴こぼして何か戻ってこればいいですけど、済んだ話ですから。気持ちを切り替えて、次の事を考えるしかない。選手たちにもそういう話をしています。

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西野朗監督を守ってやれなかった

日々野:いろんなクラブを経験されている中で、「失敗しちゃったな」ということはありますか?

久米:いっぱいあります(笑)。ただ、外国人選手を獲ってきてもうまく機能しなかったり、そういうことを失敗とは思いません。日本の環境、言葉、生活習慣が異なる中で選手をいかに機能させるか。そういうことは(そもそも難しいことだから)失敗ではないんじゃないかと思います。

失敗といえば、柏レイソル時代に西野朗監督を解任に追い込んだことです。彼が1999年にナビスコカップで優勝した翌年、2000年のことです。当時のJリーグは2ステージ制でした。

山田:(全チームを通じて合計した)成績が一番良かったときですね。

久米:20勝して勝ち点も一番獲得していたんですけど、結局優勝できなかった。次の年、2001年に優勝宣言をしたんです。

日々野:それはクラブが?

久米:監督が行ないました。僕は、西野朗監督に「優勝なんてどうなるかわからない、そういうことは言わなくていいよ」なんて言ったんです。しかし開幕して1stステージで8勝7敗でしたかね。結局7つも負けたということで横断幕がいっぱい出て、「西野辞めろ!久米ペテン師!」といった内容がたくさん出ました。

そういった中で彼を守ってあげられなかった。日立の役員からも「どういうことだ!」って話が出て、2年契約をしていた西野朗監督を解任せざるを得なかった。家に帰ったら子供たちにも女房にも、「なんなんだ、あんだけ仲良い人をよく切ったわね」って言われましたよ。

日々野:同級生ですよね。

久米:そうです。家族から戦力外通告を受けました(苦笑)。

日々野:家庭の中でですか(笑)。そういう所もお仕事としてやらなきゃいけないと。

久米:ゲームではいつでもバサッとできますが、現実ではなかなか難しいです。人を評価して、辞めさせるような仕事は嫌な商売ですね。ただ、その経験があってから長谷川健太監督ともピクシーともやっていますが、彼らをなんとか守らないといけない、という気持ちを駆り立てられたのも事実です。ピクシーが成績を挙げられないで辞めるなら、僕も一緒に辞めないといけないなと。

ただ、西野朗監督とは「成績が出なくて(日立から)辞めろと言われたら、自分もすぐ辞める」という男の約束をしていました。彼を解任したのが2001年ですから、その1年後に自分も辞めた形です。その後に清水エスパルスに行って、最初の1年目にガンバ大阪と対戦するとき、彼があいさつに来て「なんで柏辞めて清水に行ったんだ」と言うから「約束じゃないか」と。

当時は、西野朗監督を解任に追い込んだことを非常に悩みましたし、今でも引っかかっているものがあります。失敗はそれだと思います。

日々野:今の西野朗監督の活躍を見て、いかがでしょうか?

久米:いいんじゃないですか(笑)。「久米ありがとう!!」って言ってくれてたらありがたいですね。

日々野:あれだけ長い期間監督をされていますから。

久米:代表の監督をやってくれると非常にありがたいんですけどね。

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越年交渉をゼロにした評価システム構築

日々野:久米さんはGMの先駆けでいらっしゃると思うんですが、他チームに移籍するようなGMの方は今後増えてきそうだとお考えですか?

久米:増えてほしいなと思います。GM研修とかいろいろやっていると思うんですが、いろんな各チームの方が来て勉強されていると思うんですよ。選手は、プロとしてGMを見ていると思います。プロ契約をしていないと、同じ土俵の中で見てくれないのかなと思います。

日々野:選手や監督と同じプロ契約で。

久米:当時の川淵三郎チェアマン(現日本サッカー協会名誉会長)と話していたのは、選手生活を終えてGMに入っていく人たちをもっと大事にしていきたいということです。GMを発展させていくためにはもっと勉強させなきゃいけないし、もっと魅力あるものにしなきゃいけない。

ある意味、指導者は選手生活の延長線上だから簡単なんですよ。サッカーの話をしていればいいので。だけどGMの道に入ると雑用も多いし、いろんなことに首を突っ込まなきゃいけない。選手の契約、監督の契約、スカウトから選手の教育、下部組織を見たりオーナーとの付き合いもあったり。

山田:人間力が試されますよね。

久米:そういった人がたくさん出てきてほしいと思います。そのために、柏レイソルでも清水エスパルスでも名古屋グランパスでもマニュアルをしっかり作りました。選手をスカウトするにはどうするか、選手の教育をするためには、外人の受け入れはどうするか。

細かいことを言うと、選手の評価システムの構築ですね。名古屋グランパスに初めて行ったときは、契約交渉で越年する選手が多かったんです。ある選手から2008年のキャンプで話を聞くと、「越年すると年俸が上がるんです」と聞きました。

そこで、黒板に評価システムについて書いて、選手全員に時間をかけて説明しました。「こういう評価軸でやる。練習でしっかりやってくれ、ホームタウンエリアでは観客動員につながる仕事もやってくれ」と。そういう話をしてスタートしました。

日々野:選手にとっては、越年するだけじゃ年俸は上がらないことになりますよね。

久米:「ゴネれば年俸が上がる、というシステムはありません!」と(笑)。

山田:選手がふっかけてくるのを、説得して下げると。

久米:いえ、そんな作業なんかしなくても公平性と平等性をもって話をしますから。越年はゼロです。

日々野:選手にとっては、その時その時が勝負だということですね。

久米:選手は、自分の活躍した所しか評点をつけていないんです。プロジェクターで見せて「ちょっと待ってよ、これ見てみなよ」って。監督、コーチングスタッフ、僕らも点をつけるんですが、「こないだホームタウンの営業の時にここをやってくれてないよね」あるいは「テレビの出演キャンセルしたよね」と。そういったものも含めて全部評価の対象になっていますから。

そういう意識づけをすると選手も協力してくれますし、「やらにゃあいかん」「試合に出てもっとアピールしないといかん」となります。非常にうまくいっていると思いますね。

山田:今仰られた、年俸を下げるポイントはサカつくと一緒です。ホームタウン活動に参加していないといった点は、うまくゲーム上で再現できていますね。

日々野:ちょっと重なるかもしれませんが、GMとして一番大切にしていることは何でしょうか?

久米:先ほど言いました通り、軸ブレを起こさないことですね。選手たちにも言っているとおり、「言い訳をしない」「愚痴をこぼさない」これがやっぱり一番大事かなと。他にもいろいろありますが、簡単に言うとそういうことですね。

同じ方向をどう向かせるかが大事です。チームスポーツですから。11人だけやればいい、あるいはサブ含めた18人だけがやればいいわけではない。大事なのは、試合に出ていない選手のモチベーションやテンションをどう上げるかではないかなと思います。

日々野:というわけでここまでは久米さんにGMのお仕事について伺ってまいりました。

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成し遂げた「脱中位力」

日々野:さてそんな久米さんにGMになって一番良かった事と、辛かった事を挙げてもらいました。それがこちらです。早速見ていきたいと思うんですが、一番良かったことから見ていきましょう。こちらです。「2010年名古屋グランパス優勝」。

久米:2008年に「3年かけて優勝します」と言った成果がしっかり出たということで。優勝を決めた当日は、湘南ベルマーレとの対戦で平塚競技場にいて、玉田圭司のゴールで1-0で勝ちました。ただ私は、当日風邪を引いていてあまり盛り上がれなくて。田中マルクス闘莉王に、「優勝したのに久米さんだけ元気ない!なんで元気ないんだ」なんて言われて「いや、うつしちゃいけないから静かにしているんだ」と。非常にうれしかったですね。

当日は豊田章男社長が中国から帰国して、本来なら名古屋中部空港に降りる予定を羽田に降りていうただいて、急きょ会場に駆けつけてもらいました。ピクシーの後に社長の胴上げをして、田中マルクス闘莉王に「お前絶対に落とすなよ!落とすなよ!頭を持て!」って言ったのをよく覚えています(笑)。自分が作ったシャーレが自分の所に来た、というのは非常に良かったことですね。

山田:名古屋グランパスは、資金力があるのにずっと中位でした。「サカつく6」の時、エルゴラッソさんにスタート時のプロフィールを作っていただいたんですが、その見出しに「脱中位力」と書いてあって。「これは許可が下りるのかな?」と思いながら提出したんですが、大丈夫でした(笑)。

名古屋グランパスは資金力があって選手もそろっているのに上位に絡めない部分がありましたが、順を追って成績を上げてきて。「次は優勝するんじゃないか」と言われていても、実際に優勝するのは本当に難しいと思うんですね。すごいことだと思います。

もっといえば、当時から「サカつく7」のイメージキャラクターにピクシーを起用したいと思っていましたから。「なんとかならないかなあ」と思いながら見ていました。

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ウインブルドンを参考に作ったシャーレ

日々野:久米さんの手元に、ご自身が制作に携わられたシャーレが来ました。制作に関わられた際の経緯を、簡単に伺いたいのですが。

久米:実は、ウインブルドンのテニスを参考にして作ったんですよ。当時、川淵さんはイングランドのような優勝カップを想定したそうですが、ウインブルドンを見るとシャーレを高々と掲げている。「やっぱりこういうのがいいよね」ということで、リクエストが出たんです。デザインは、川淵さんが自分でデッサンされて作ったんですよ。それを持って、日本で制作できる場所がなかったのでイギリスに飛びました。

結果、作ってみて重くもなく、だけど掲げたときにちょうどズッシリくるようなものができました。10キロぐらいありますが、大きすぎずちょうど良い具合のものができたと思います。

山田:てっきりドイツのマイスターシャーレをイメージして作ったのかなと思っていたんですが、テニスとは。

日々野:それがご自身の手にやってきたということを、一番良かった事として挙げていただきました。続いて、一番辛かったことを挙げていただきました。「シーズン中に、チームが浮上しない」ですか。

久米:柏レイソルから清水エスパルスに移ってきた後の2003年~2005年、この3年間はサポーターのみなさんにも苦労をさせてしまったなと。自分が思い描いていた選手を獲ってきてやるんですけれど、人間も生き物ですから、右向け右とはいかなくて。

サポーターから「責任はGMにあるんじゃないか」と言われました。大木武監督(現京都サンガF.C.監督)、石崎信弘監督(現コンサドーレ札幌監督)とやりましたが、非常に苦労させてしまったなと。当時の清水エスパルスの早川巌社長に助けていただきましたが、サポーターの皆さんとうまく連動できなかったことが一番辛かったですね。それがあって、今の名古屋グランパスがあるんですけど。

山田:どちらかというと、清水エスパルスよりも柏レイソルの時にいろんな苦労が多そうなイメージがあります。

久米:柏レイソルの時は、サポーターの皆さんとよく話をしていました。そんなに大変でもなかったですね。僕が辞める時はサポーターの皆さんも泣いてくれて、「なんで辞めちゃうんだ」と。

山田:そこでの経験が、名古屋グランパスで活かされているんですね。

日々野:ということで久米さんに聞いた、「GMになってから一番良かったこと、辛かったこと」でした。

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2連覇、そしてその先へ

日々野:最後に久米さんの今後の目標、夢を教えてください。

久米:あまり大きな夢を描かないほうが良いと思うんですが、サッカーをやっていく上で優勝は大きな目標ですし、夢です。今年もおかげ様で良い位置にいれますし、ピクシーも2連覇を狙ってくれると信じて疑っておりません。だから、今年2連覇を達成することがまずは夢ですね。

それから、今年はACLであまり良い成績を収められなかったので、もう一度チャレンジして優勝してアジアチャンピオンになり、トヨタ自動車がスポンサーとなっているFIFAクラブワールドカップに出場することですね。

これはサポーターの皆さんにも言っているお話です。とにかく、ピクシーをフォローしていかなくてはならない。ただ、プレーするのは選手たちです。「久米と付き合ってよかった」と、選手のご両親、選手本人、さらに結婚された奥様からも信頼される存在になるのが目標ですね。

契約が絡んでくると、どうしてもドライな仕事をしなきゃいけないというイメージがあります。ルールが変わって移籍が容易になり、シビアなヨーロッパ的考えを持たなきゃいけないのか、と。ですが日本という土壌の中では、クラブのことだけでなくサッカー界全体に広げて考える中で、人間的なものがないと偉大なGMにはなれないかなと感じました。

日々野:今日はお忙しい中ありがとうございました。

久米:どうもありがとうございました。

日々野:ということで今回のゲストは、名古屋グランパス統括本部長兼GMの久米一正さんでした。ありがとうございました。

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